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プロフィール
(以下、ウキペディア引用)
近藤 和也(こんどう かずや、1973年12月12日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(3期)。立憲民主党石川県連代表[3]。
来歴
石川県鹿島郡鹿島町(現・中能登町)出身。鹿島町立滝尾小学校、鹿島町立鹿島中学校、石川県立七尾高等学校卒業。1992年、代々木ゼミナール京都校に入り、寮生活を送る。1993年、京都大学経済学部に入学。1997年3月、同大学卒業。同年4月、野村證券に就職[4]。
勤務時に民主党候補者公募に合格。2007年に退社。
衆議院議員へ
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に石川3区から民主党公認で初出馬し、自由民主党前職の北村茂男を破って初当選した[5]。
石川3区は奥田敬和系の新進石川の勢力も及ばない自民王国[6]と言われていたが、全国的な自民党への逆風に加えて、引退を表明した前自民党代議士瓦力の「後継者はいない」発言をはじめとした自民候補の北村に対する一部の自民党支持者の離反に乗じ、小選挙区で勝利を収めた。これにより石川3区は中選挙区時代も含め、55年体制以降の半世紀以上にわたる自民党独占が崩れた。
2010年9月の民主党代表選では投票直前まで明言を避けたものの、前回代表選に引き続き菅に投票した[7]。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に石川3区から民主党公認で出馬したが、前回より4万票近く得票を減らし、自民の北村に敗れ比例復活もならず落選した。
2013年3月30日、一川保夫参議院議員は前年の衆院選惨敗の責任をとり、民主党石川県連代表を辞任。同日、一川の後任として県連代表に就任した[8][9]。
2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙に石川3区から再び民主党公認で出馬。選挙区で再び落選し、惜敗率90%超まで迫ったものの比例復活も叶わなかった[10]。
2回連続で落選したことで、「選挙に弱い人間が組織を引っ張れるのかという思いがある」と述べ民主党県連代表の辞意を表明した[11][12]が、最終的に周囲の反対に押し切られ留任。2016年の第24回参議院議員通常選挙では県連代表として石川県選挙区において民共共闘を進めたが[13][14]、野党統一候補は落選した[15]。
民進党・希望の党
民主党から民進党へ移行し、2017年10月22日の第48回衆議院議員総選挙に民進党の希望の党合流方針に従って希望の党公認で出馬[16]。小選挙区では、自民党の新人で瓦の元秘書である西田昭二が初当選。希望の党は比例北陸信越ブロックで3議席を獲得。1番目の惜敗率(97.38%)だった近藤は比例復活により2期目の当選を果たした[17]。
国民民主党・新立憲民主党
2018年5月7日、民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加[18]、国民民主党の会計監査に就任した[19]。
2020年8月19日、国民民主党は両院議員総会を開き、立憲民主党と合流し新党を結成する案を賛成多数で可決[20]。近藤は、自身の合流不参加と「分党」を表明した玉木雄一郎代表に対し「リーダーの責任は重い。玉木氏には新党に参加してほしい」と翻意を促すが[21]、玉木の決意はかたかった。8月22日、国民民主党石川県連の常任幹事会が開かれ、近藤は合流新党に参加する方針を明らかにした[22]。同年9月10日に行われた合流新党の代表選挙では泉健太の推薦人に名を連ねた[23]。10月4日、新「立憲民主党」石川県連の設立大会が開かれ、近藤が代表に就任した[3]。
2021年10月31日に行われた第49回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で立候補。小選挙区では自民党公認の西田昭二が当選。立憲民主党は比例北陸信越ブロックで3議席を獲得。1番目の惜敗率(95.11%)だった近藤は比例復活により3選[24][25]。11月30日、枝野幸男代表の辞任に伴う代表選挙が執行[26]。近藤は同選挙で小川淳也の推薦人に名を連ねた[27]。1回目の投票では小川に投じ、決選投票では泉健太に投じた[28]。
政策・主張
憲法問題
憲法改正について、2017年のアンケートでは「どちらかといえば賛成」と回答[29]。2021年のアンケートでは「どちらとも言えない」と回答[30]。
憲法9条への自衛隊の明記について、2021年のアンケートで「反対」と回答[31]。
安全保障関連法の成立について、2017年のアンケートで「評価しない」と回答[29]。
ジェンダー問題
選択的夫婦別姓制度の導入について、2017年のアンケートでは「どちらかといえば賛成」と回答[29]。2021年のアンケートでは「賛成」と回答[30]。
同性婚を可能とする法改正について、2021年のアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答[31]。
「LGBTなど性的少数者をめぐる理解増進法案を早期に成立させるべきか」との問題提起に対し、「どちらかといえば賛成」と回答[30]。
クオータ制の導入について、2021年のアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答[31]。
その他
「原子力発電への依存度について今後どうするべきか」との問題提起に対し、2021年のアンケートで「下げるべき」と回答[31]。
アベノミクスについて、2017年のアンケートで「評価しない」と回答[29]。
安倍内閣による森友学園問題・加計学園問題への対応について、2017年のアンケートで「評価しない」と回答[29]。
当選1期目の頃、網屋信介や今井雅人らとともに「金融ボーイズ」を自称して名乗り活動[32]。予算委員会[33]、財政金融委員会[34]、農林水産委員会[35]を主な所属とし、党務としては代表選挙で支援した菅直人の下、政調会長補佐や事業仕訳人に抜擢された[36]。
エピソード
大学時代から「麻雀帝王」と呼ばれるほどの腕前[37]。
大学時代、瓦力の選挙運動に参加[38]。
当選直後のブログ上で親族以外の葬儀に参列せず、弔電等も一切出さないことを公表し、支持者から「顔が見えない」と批判される[39][40]。
2009年11月、陳情に来た奥能登地域の首長に対して「鎧を脱いでもらいたい」と各自治体での自民党支部の支部長職や役職の辞職を迫ったものの、逆に支援を受けた「身内」である労組出身の首長や議員の反発を買った[41][39][42]。
県連代表として臨んだ2016年の参院選で、野党共闘の新人候補の宗教活動に関して批判的な報道がされたとき、県連として文書回答を拒否した[43][44]。
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