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プロフィール
(以下、ウキペディア引用)
藤原 崇(ふじわら たかし、1983年8月2日 - )は、日本の弁護士、政治家、自由民主党所属の衆議院議員(4期)。財務大臣政務官(第2次岸田内閣)。
元内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官(第4次安倍第2次改造内閣)。
来歴
生い立ち
岩手県和賀郡西和賀町に生まれる[1]。旧湯田町の出[2]で、岩手県立黒沢尻北高等学校を卒業後、静岡大学に進学し、人文学部の法学科にて学んだ[3]。2006年3月に静岡大学を卒業すると、明治学院大学の大学院に進学し、法務職研究科の専門職学位課程(いわゆる法科大学院)にて学んだ[3]。2009年3月、同課程を修了した[3]。翌年12月、新第63期司法修習生修了[3]。
2011年1月より須田法律事務所(のちの須田総合法律事務所)に勤務し、同年8月に丸山国際法律事務所へ転じた[3]。弁護士としては、一般民事や家事、刑事事件を担当した[1]。また、同月より参議院議員である丸山和也の下で公設第一秘書を務めた[3]。政治家秘書としては、主として参議院議員会館での職務を担当していた[1]。
衆議院議員に当選
衆議院議員総選挙に立候補するため、2012年3月に同事務所を退職。同年12月の第46回衆議院議員総選挙に岩手4区から自由民主党公認で出馬した。民主党代表などを歴任した日本未来の党の小沢一郎に敗れたが、比例東北ブロックで復活し初当選を果たした。
2014年12月の第47回衆議院議員総選挙に岩手4区から出馬し、再び小沢に敗れたが、比例代表東北ブロック党内2番目の惜敗率で再選。同年12月20日に中央選挙管理会より当選証書が交付された[4]。
2017年10月22日第48回衆議院議員総選挙において選挙区において三たび小沢に敗れたが、前回同様比例東北ブロックにて三度目の復活当選を果たした。
2019年9月13日、 第4次安倍第2次改造内閣で内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官に就任[5]。同年11月24日、自由民主党岩手県連会長に就任[6]。
小沢一郎に勝利し小選挙区当選
2021年10月19日公示・10月31日投開票の第49回衆議院議員総選挙において選対本部長に元自民党参議院議員で小沢と袂を分かった平野達男を選対本部長に迎え、比例で初当選から9年の間に地元での活動を積極的に行い、政治力も誇示していった結果、序盤から接戦が報じられ、相手の小沢が初当選以来といわれる異例のお国入りを行ったほどであった。 平野から教えられた小沢の選挙戦術を逆に活用し選挙区をきめ細かく回り、川の流れのように山間部から都市部に支持を広げる小沢流選挙戦術の代名詞と言われる「川上作戦」を行い、 前回差のついた一関市にはこちらも小沢と袂を分けた元衆議院議員黄川田徹の元秘書を配置し対応。こうした奮闘により初めて選挙区において小沢に勝利し、4選(小沢は初の小選挙区での落選となったが、比例復活)。小選挙区制度導入以来岩手県の小選挙区で2人以上の自民党候補が小選挙区で当選するのは初めての事であった。(2区の鈴木俊一が45回を除き勝利した以外、自民党候補は全員比例復活であった。)
同年11月11日、第2次岸田内閣にて財務大臣政務官に就任[7][8]。
政策・主張
選択的夫婦別姓制度
2014年のアンケートで、選択的夫婦別姓制度の導入に「反対」と回答[9]。
2021年1月30日、藤原ら自民党国会議員有志50人は、47都道府県議会議長のうち同党所属の約40人に、選択的夫婦別姓の導入に賛同する意見書を採択しないよう求める文書を郵送した。地方議員や市民団体は、地方議会の独立性を脅かす行為だとして藤原らを批判した[10][11][12][13][14]。
その他
女性宮家の創設に反対[15]。
原発について、新基準を満たした原発は再稼働すべきだ、としている[15]。
憲法改正に賛成[15]。
集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すべき、としている[15]。
活動
2015年6月、大韓民国に渡航し、同国の国会議員らとサッカーの試合をおこなった[16]。
所属団体・議員連盟
自民党たばこ議員連盟[17]
神道政治連盟国会議員懇談会[18]
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会[18]
文化芸術懇話会[19]
日本の印章制度・文化を守る議員連盟(幹事)[20]
日本の未来を考える勉強会[21
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