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プロフィール
(以下、ウキペディア引用)
末次 精一(すえつぐ せいいち、1962年(昭和37年)12月2日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(1期)。元長崎県議会議員(2期)。
来歴
長崎県佐世保市出身、京都大学工学部卒。川崎製鉄(現:JFEスチール)に入社し、途中、アメリカ合衆国オハイオ州のアームコ社へ出向。当時バブル景気に乗り日本企業が米国内の不動産などを派手に買い占める様が反感を買っており、アメリカの友人に「日本人はずるい国民だ」と言われたことが転機となり、政治に関心を持つ。岡山県勤務の時、田中角栄元首相の秘書だった早坂茂三に「政治家になりたい」と手紙を送ったのがきっかけで早坂の紹介で1995年に小沢一郎衆議院議員の秘書となる[2][3]。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では東京7区から自由党公認で立候補するが、民主党の長妻昭、自由民主党の粕谷茂らの争いに埋没し、落選[4]。その後帰郷し2003年の長崎県議会議員選挙に無所属で立候補するが、落選。2007年の県議選で初当選し、2期務める。
2012年11月19日、小沢が率いる国民の生活が第一が次期衆院選長崎4区に末次を擁立すると発表[5]。翌12月の第46回衆議院議員総選挙では生活の合流先である日本未来の党から立候補するも、自由民主党の北村誠吾や民主党の宮島大典らの争いに埋没し落選。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では生活の党から立候補するも落選し、供託金も没収された。2016年7月の第24回参議院議員通常選挙では参議院比例区から立候補し、落選。
2017年1月、所属する自由党(生活の党から党名変更)が民進党と候補者の棲み分けで合意したことを受け、4区を宮島大典に譲り、末次は長崎3区に国替えした[6]。同年10月の第48回衆議院議員総選挙では希望の党に合流し立候補するが、谷川弥一に敗れ落選。その後は自由党に復党後、2019年5月21日付で旧国民民主党に入党[7]。6月19日に同党の長崎4区支部長に就任した(前述の宮島は長崎県議に転出)[8]。
2021年10月の第49回衆議院議員総選挙では立憲民主党公認で長崎4区から立候補し、野党統一候補となったことや対立候補である北村の失言もあり小選挙区で猛追するも、惜敗。重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、5度目の衆院選立候補にして初当選した[9][10][11]。枝野幸男代表の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では泉健太の推薦人に名を連ねた[12]。
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