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プロフィール

(以下、ウキペディア引用)
尾身 朝子(おみ あさこ、1961年4月26日 - )は、日本の政治家、ITコンサルタント。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。
元外務大臣政務官。 父は第1次安倍内閣で財務大臣を務めた尾身幸次。次男はワタナベエンターテインメント所属のお笑いコンビ「ラパルフェ」の尾身智志。
来歴
東京都千代田区出身[2]。父がニューヨーク領事となったことに伴い、小学校3年から中学1年までニュージャージー州で過ごす[己 1]。東京大学法学部卒業後、NTTに入社[己 1]。在職中、クリスマスパーティーで知り合った男性と結婚。2度の出産、育児休業を経験した[己 1]。
1998年からNTT社内でJ-STAGE企画・開発・運用プロジェクトのプロジェクトリーダーを務めた[己 1]。
2002年にNTTを退社し、ITコンサルタント業を起業。情報通信業の株式会社ブライトホープ代表取締役として、書籍資料の電子化(デジタル化)を図るなどITコンテンツ事業の推進に取り組んだ[3]。
2004年7月11日、第20回参議院議員通常選挙に自民党公認で比例区から出馬するが落選[4][5][注 1]。
2004年10月には東海大学総合科学技術研究所教授(非常勤)に就任[己 1]。
2006年に父が特定非営利活動法人STSフォーラムを設立してからは、同秘書室長や事務局長を務めた[6][7]。
2007年7月29日、第21回参議院議員通常選挙で再度、自民党比例区から出馬するも落選[8][9][注 2]。
2013年4月、内閣府子ども・子育て会議委員[10][2]。同年6月、公益社団法人麹町法人会常任理事[10]。
同年12月、日本商工会議所若者・女性活躍推進専門委員会委員[10]。
初当選以降
2014年の第47回衆議院議員総選挙に自民党から比例北関東ブロック単独で出馬し初当選(比例名簿順位は単独33位)[11]。父と同じく清和政策研究会に入会[12][13]。自民党文部科学部会副部会長[14]。
2017年9月26日、自民党群馬県連は前回群馬1区当選の佐田玄一郎ではなく尾身朝子の群馬1区公認を党本部に推薦した[15][16]。同年9月28日、自民党本部は1次公認リストを発表[17]。党本部は1次公認で群馬1区では尾身を公認した[18][19]。
2017年の第48回衆議院議員総選挙に自民党公認で群馬1区から出馬し当選[20]。
2019年9月13日、 第4次安倍第2次改造内閣で外務大臣政務官に就任[21]。
2021年10月7日、自民党群馬県連は選挙対策委員会で第49回衆院選群馬1区の公認候補の選出を党本部に一任することを決定した[22][23]。
同年10月15日、自民党本部は第49回衆院選の2次公認候補を発表した[24][25]。群馬1区では中曽根康隆が公認され、尾身は比例北関東ブロック単独での公認が決まった[24][25][注 3]。
2021年の第49回衆議院議員総選挙には比例北関東ブロック単独で出馬して当選(比例名簿順位は単独1位)[28]。
政策・主張
憲法第9条の改正に賛成[29]。
集団的自衛権を行使できるようにする憲法解釈の変更に賛成[29]。
アベノミクスを評価する[29]。
原発は日本に必要[29]。
特定秘密保護法は日本に必要[29]。
「道徳」を小中学校の授業で教え、子供を評価することに賛成[29]。
エピソード
2007年の参議院選挙に立候補した際、かつて尾身幸次と確執があった清和政策研究会(町村派)相談役の森喜朗から「私の命ある限り、朝子の町村派入りは認めない」と言及された[30]が、尾身朝子は衆院選初当選後、清和政策研究会(細田派)に入会した[12][13]。
二階派系の新人・中曽根康隆が2017年衆院選に群馬1区から出馬することを検討したが、二階俊博はこれに「待った」をかけて尾身朝子の顔を立てた[31]。日刊ゲンダイによって「第2次『上州戦争』回避で自民・尾身朝子氏が安泰」と報じられた[32]。
所属議員連盟
日本会議国会議員懇談会[33]
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