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衆議院議員 國場幸之助君の通信簿

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プロフィール

(以下、ウキペディア引用)

國場 幸之助(こくば こうのすけ、1973年1月10日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、自由民主党副幹事長。元沖縄県議会議員(2期)。


父方の大叔父は元衆議院議員の國場幸昌[2]、祖父は國場組創業者の國場幸太郎。義父は元沖縄県議会議員の西田健次郎[3]。


来歴

沖縄県那覇市生まれ。生家はゼネコン「國場組」の創業者一族で、父は元國場組代表取締役社長の國場幸治[4]。那覇市立開南小学校、那覇市立上山中学校、沖縄尚学高等学校卒業。学生時代に政治家を志す[5]。高校卒業後、1年間の浪人生活を経て日本大学文理学部哲学科に入学するも古代ギリシャ語で挫折し、中退した[要出典]。その後、保守系政治家を多く輩出した早稲田大学雄弁会に憧れ、早稲田大学社会科学部社会科学科に入学した。岡沢憲芙ゼミで比較政治学を専攻し、雄弁会では幹事長を務めた[5]。卒業後はアメリカ合衆国のコロンビア大学に語学留学した[2]。


帰国後、1998年の沖縄県知事選挙で当選した稲嶺惠一の秘書を務めた[5]。2000年、沖縄県議会議員選挙に保守系無所属で那覇市選挙区から出馬し、トップ当選した。沖縄県議会で、20代の議員が誕生するのは史上初だった[2]。当選後、自由民主党に入党した。


2003年、県議を辞職。同年11月の第43回衆議院議員総選挙に沖縄3区から保守新党の推薦を受けて無所属で出馬したが、自民党前職の嘉数知賢、社会民主党前職の東門美津子に次ぐ3位で落選した。なお、前回の第42回衆議院議員総選挙では義父の西田が無所属の会公認で出馬しており、同区は2度続けての保守分裂選挙であった[要出典]。2004年の県議選では自民党の公認を受けられず無所属で出馬、再び那覇市選挙区でトップ当選。当選後、自民党に復党した。


2008年、自民党沖縄県第1選挙区支部は次期衆議院議員総選挙で、沖縄1区に國場を擁立する方針を決定する。自民党は自公連立政権下での選挙協力により、2000年の第42回衆議院議員総選挙から沖縄1区に公認候補を立てず、公明党の白保台一に譲っていたが、白保が2005年の第44回衆議院議員総選挙で下地幹郎に敗れて落選したため、独自候補の擁立を模索していた[6]。そのため國場は、2008年の県議選への立候補を見送った。白保は当初、返り咲きに意欲を見せていたが、同年8月に引退を表明し[7]、公明党は國場を推薦した。しかし、2009年の第45回衆議院議員総選挙では国民新党前職の下地幹郎に敗れ、比例復活も出来ず落選した。


落選後も県議には復帰せず、2012年の第46回衆議院議員総選挙に再び沖縄1区から自民党公認で出馬。「沖縄復帰日の5月15日を国民の休日(主権回復記念日)にする」「日米地位協定の改定」「米軍普天間基地の県外移設」等を公約に掲げ[要出典]、現職の閣僚である国民新党幹事長の下地を破り、当選した。


2014年の第47回衆議院議員総選挙では、沖縄1区で日本共産党の赤嶺政賢に敗れたが、比例九州ブロックにて復活し、再選。2015年5月、歴史修正主義的なナショナリズムを排除した保守を目指し、戦後70年の日本の歩みを検証する勉強会「過去を学び“分厚い保守政治”を目指す若手議員の会」の立ち上げに参加し、國場、武井俊輔、石崎徹の3人の衆議院議員(いずれも当選2回)が共同代表世話人に就任した[8][9]。


2017年の第48回衆議院議員総選挙では、赤嶺に惜敗率89.8%で敗れたものの、比例九州ブロックで3選した[10]。


2018年4月、沖縄県出身者としては初めて自民党副幹事長に就任。自民党沖縄県連会長に就任[11]。


2018年10月、沖縄県知事選・豊見城市長選・那覇市長選で自民党が推した候補がいずれも敗北したことを受け、自民党沖縄県連会長の辞任を表明した[12]。


2019年9月、自民党副幹事長に再任。


2020年9月、沖縄県出身者として初めて外務大臣政務官に就任。


2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で再び赤嶺に敗れるも比例復活で4選[13][14]。


不祥事・騒動

公職選挙法違反の疑い

2017年の衆院選期間中、沖縄県の選挙区から出馬した自民党の3議員(西銘恒三郎、国場、宮崎政久)が代表を務める政党支部が、2015年に米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設の関連工事を受注した業者から献金を受けていたことを報じられ、西銘と国場の事務所は取材に「誤解を与えないよう返金した」とコメントした。一方、宮崎の事務所は「担当者が不在で対応できない」とし、各支部の政治資金収支報告書によると、献金をしたのは沖縄県浦添市の建設業者。各支部にそれぞれ20万円ずつ寄付していた[15]。国と契約を結んでいる業者から国政選挙に関する献金を受け取っていたとして公職選挙法(特定寄付の禁止)に抵触する可能性が指摘されている[16]。


傷害容疑で書類送検

2018年4月29日、前日に自民党県連会長に就任し、その翌日の未明、那覇市松山の路上で女性と口論し、止めに入った観光客に殴られるなどし、右足の骨折や顔面打撲などの大ケガをした[17]。相手の男性も服のボタンが外れるなどしたが、双方とも被害届は出さなかった[18]。那覇警察署は國場と観光客の男性の2人を傷害容疑で書類送検した[19]。のちに國場は不起訴[20]。


秘書によるハンスト団体への暴言

2019年1月、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設の賛否を問う県民投票に5市が不参加を表明したことに抗議するハンガー・ストライキ終了後、国場の政策秘書を務める田中慧がツイッターに「ハンストは自分の命を人質にしたテロと同質」「今後はハンストに対してはさっさと死ねという言葉だけを浴びせる」などと書き込んだ[21]。国場は秘書にハンストを行った団体の代表に謝罪させた[22]。


ダブル不倫疑惑

2019年4月、ボランティアスタッフであり、かつ前年の傷害事件で一緒にいたとされる女性の元夫から、離婚の原因は國場と女性による不貞行為だとして提訴された。週刊誌に女性との赤裸々なLINEメッセージが暴露され話題となった[23][24]。その後、和解が成立した[25]。


暴力団幹部への仲介依頼疑惑

2020年11月、週刊文春は、義父で元沖縄県議の西田健次郎が国場の不倫騒動で指定暴力団「沖縄旭琉會」の総長に示談の仲介役を依頼し、その弁明書も入手したことを報じた[26]。一方、国場は報道内容を否定している[27]。


政治資金収支報告書の不記載

2020年12月、政治資金収支報告書に関し、過去3年間で与野党を通じて最も不記載の金額が多かった議員として名前が挙げられた[28]。宏池政策研究会から国場の後援会が受けた合計620万円の寄付を記載していなかった[29]。


政策・主張

憲法改正

日本国憲法の改正に賛成[30]。改正すべき項目として、戦争放棄と自衛隊・緊急事態条項・衆議院の解散を挙げる[31]。


安全保障

集団的自衛権の行使を禁じた内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成[30]。


経済・財政

消費税10%にどちらかと言えば賛成。増えるべき税収の使いみちとして、幼児教育の無償化や高等教育の負担軽減を挙げる[31]。


労働・社会福祉

働き方改革関連法案の立法に際し、沖縄と鹿児島の砂糖製造業への残業時間の上限制導入について、繁忙期の季節労働者の確保や技術習得、宿舎整備などには3年では足りず5年は必要だとの製糖業関係者の声を予算委員で指摘、現地視察など働きかけ、法施行からの準備期間を3年から5年の延長を実現した[32]。


普天間移設問題

普天間基地移設問題について、第46回衆議院議員総選挙では辺野古への移設を容認する党本部の方針に反して「県外移設」を公約に掲げ[33]、当選後も同様の主張を行っていた[34]。また選挙前の2010年4月6日、自身のブログで代替施設建設案を提示した民主党政権に対し、公約違反を厳しく批判していた[35]。


2013年4月、同様に普天間飛行場の県外移設を主張していた沖縄4区選出の西銘恒三郎、沖縄県選挙区選出の島尻安伊子が党本部からの要請により、辺野古への移設を事実上容認する姿勢に転向したが、國場は転向を拒否し、7月の第23回参議院議員通常選挙において党本部が辺野古への移設の推進を掲げた際も、県外移設を求める方針を堅持する考えを強調した[36]。


しかし、参院選後に高村正彦副総裁ら自民党幹部が相次ぎ、辺野古移設を容認しない所属国会議員への離党勧告を示唆した。[37]。11月19日に石破茂幹事長から辺野古移設を容認するよう説得を受け、25日に記者会見を開いて、正式に辺野古への移設を容認する意向を表明した。これに対し、県外移設を求めてきた自民党所属の那覇市議らは強く反発し、那覇市議会の保守系会派「新風会」に所属する10議員[38]及び会派「自由民主党」に所属する4議員の計14名は國場が支部長を務める自民党沖縄1区支部の役職を一斉に辞任した[39]。


家族制度

選択的夫婦別姓制度導入について、「結婚したら全員が夫婦同姓にすべき」としている一方で[40]、2021年3月に自民党有志が設立した「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」に参加し、同連盟の幹事に就任している[41]。


その他

女性宮家の創設に反対[30]。


著作

単著

『われ、沖縄の架け橋たらん』(2014年、ケイアンドケイプレス、ISBN 978-4906674602)

『「沖縄保守」宣言』(2019年、ケイアンドケイプレス、ISBN 978-4-906674-73-2)



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