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衆議院議員 伊藤忠彦君の通信簿

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プロフィール

(以下、ウィキペディア引用)

伊藤 忠彦(いとう ただひこ、1964年7月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、環境副大臣兼内閣府副大臣(第3次安倍第2次改造内閣・第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)。総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第2次安倍内閣)、愛知県議会議員(2期)等を務めた。


元宮城県知事の山本壮一郎は伯父[1]。


来歴

愛知県名古屋市生まれ[2]。父は東海銀行の元頭取であり、実家は名古屋市で400年続く旧商家「川伊藤家」[3]。名古屋市立御園小学校、東海中学校、早稲田大学高等学院、早稲田大学法学部卒業[2]。早大在学中は奥島孝康のゼミに所属[4]。大学卒業後、電通に入社し、1994年3月に退社[2]。同年4月より、武村正義衆議院議員の秘書を務める[2][3]。武村の誘いにより、1995年7月の第17回参議院議員通常選挙、1996年10月の第41回衆議院議員総選挙に、新党さきがけから比例単独で出馬するが落選[5]。1997年10月より、小渕恵三衆議院議員の秘書[2][3]。1998年8月、当時自由民主党所属の衆議院議員であった久野統一郎の誘いを受け[3]、久野の選挙区に含まれる知多市へ移り住んだ[2]。


1999年、愛知県議会議員選挙に、知多市選挙区から出馬し、初当選した[2]。2003年の県議選で再選[2]。


2005年、2期目の任期途中で愛知県議を辞職し、第44回衆議院議員総選挙に、自民党公認で愛知8区から出馬。民主党前職の伴野豊を破り、当選した[2]。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、愛知8区で民主党の伴野に敗れ、比例復活もできず落選した[6]。


2012年の第46回衆議院議員総選挙に、自民党公認で愛知8区から出馬し、民主党の伴野を比例復活すら許さない大差で破り、3年ぶりに国政に復帰した[7]。2013年9月、第2次安倍内閣で総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官に任命された[2]。2014年の第47回衆議院議員総選挙に、自民党公認で愛知8区から出馬し、3選[8]。2016年1月4日、第190回国会で議事進行係に就任した[2]。同年8月、第3次安倍第2次改造内閣で環境副大臣兼内閣府副大臣に任命された[9]。


2017年の第48回衆議院議員総選挙に、自民党公認で愛知8区から出馬。2005年以来、愛知8区の議席を争ってきた伴野豊が無所属で出馬し[10]、伴野に1,852票の僅差まで詰め寄られるも、愛知8区で4選[11]。


2018年10月、自民党国土交通部会長に就任[12]。


2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙で、立憲民主党公認の伴野豊を、前回よりも更に僅差の1,065票差で破り、5期目の当選を果たした(伴野は比例復活で返り咲いた)[13]。


政策・主張

第9条を含む日本国憲法の改正に賛成[14]。

憲法への緊急事態条項の創設に賛成[14]。

原子力発電は日本に「必要だ」としている[14]。

カジノの解禁に賛成[14]。

日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としており、非核三原則の「持ち込ませず」の部分についても「議論する必要はない」としている[14]。

所属団体・議員連盟

自民党たばこ議員連盟[15]

時代に適した風営法を求める議員連盟(パチンコ議連)

神道政治連盟国会議員懇談会

TPP交渉における国益を守り抜く会

北京オリンピックを支援する議員の会

日韓議員連盟

日本・カタール友好議員連盟(事務局長)


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