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プロフィール
(以下、ウキペディア引用)
紙 智子(かみ ともこ、本名:内山 智子(うちやま ともこ)[1]、1955年1月13日[1] - )は、日本の政治家。日本共産党所属の参議院議員(4期)。党常任幹部会委員、党農林・漁民局長。
概要
2001年7月18日、第19回参議院議員通常選挙にて日本共産党委員長志位和夫(右)と
1955年、北海道札幌郡豊平町字真栄(現:札幌市清田区真栄)の農家4人兄妹(兄3人)の末子として生まれる。短大時代実業団バレーボールチーム9人制全道大会で優勝。全国大会にも出場する。
日本民主青年同盟員としても活動。実家は自由民主党支持であったが、兄と友人の影響で日本共産党に入党する。
1986年に初めて国政選挙に立候補するも、2001年に当選するまでは参院選に4回・衆院選に3回すべて落選している。
経歴
2001年7月18日、第19回参議院議員通常選挙にて日本共産党委員長志位和夫(右)、参議院議員候補宮内聡(左)と
1955年:北海道札幌郡豊平町字真栄に生まれる
北海道恵庭南高等学校卒業
1975年:北海道女子短期大学(現・北翔大学短期大学部)工芸美術科卒業、株式会社小川白衣勤務。
1978年:日本民主青年同盟北海道委員、中央委員会副委員長[2]。
1986年:参議院比例代表に初立候補(落選)。
1989年:日本共産党中央委員会青年学生部勤務。
1989年10月:党北海道委員会勤務、党国会議員団北海道事務所長[2]。
1993年:第40回衆議院議員総選挙に旧北海道4区から出馬(落選)。
1996年:第41回衆議院議員総選挙に北海道9区から出馬(落選)。
1998年:第18回参議院議員通常選挙にて北海道選挙区から出馬、60万票以上を獲るも落選。
2000年:第42回衆議院議員総選挙にて北海道2区から出馬(落選)。
2001年:第19回参議院議員通常選挙にて比例区から立候補、初当選。北方領土返還・四島交流促進議員連盟副会長[2]。
2007年:第21回参議院議員通常選挙、比例区から立候補して2度目の当選を果たす[2]。
2013年:第23回参議院議員通常選挙、比例区から立候補して3度目の当選を果たす[2]。
2019年:第25回参議院議員通常選挙、比例区から立候補して4度目の当選を果たす。
主張・ 活動
2007年にLGBTの権利獲得のためのパレード札幌レインボーマーチに参加を表明するも空転する国会情勢のため参加できず、札幌市議会議員・坂本恭子がメッセージを代読、そのメッセージでLGBTの権利獲得の障害になっているのは、格差社会を是認し社会的弱者を抹殺しようとする自民党と公明党との連立政権であると主張した。
紙智子は2008年1月8日にマイク・ホンダが来日したとき、江田五月・神本美恵子・水岡俊一・仁比聡平と一緒にホンダが慰安婦問題に関して日本政府に公式な謝罪を要求するアメリカ合衆国下院121号決議の提出を主導し、下院で議決させたことに対し、謝意を表明した。これに対しホンダは「困難な課題だが、みなさんとセイム・ハート(同じ気持ち)だ」と応じた[3]。
2011年12月14日に日本軍『慰安婦』問題解決全国行動が開催した韓国水曜デモ1000回アクション in Tokyoに参加した[4][5]。
政策
国会前で連帯の挨拶をするなど、TPP交渉から直ちに撤退することを主張している[6][7]。
民法改正を目指す院内集会に積極的に参加するなど、選択的夫婦別姓制度導入推進に積極的にかかわっている[8][9]。
所属団体・議員連盟
アイヌ政策を推進する議員の会[10]
人物・家族
趣味は、スキー、山歩き、絵画、料理など[11]。1990年代、自身が40歳前後の時に結婚した15歳年上の夫は2012年、72歳で死去している[12]。
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