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プロフィール

(以下、ウキペディア引用)
福岡 資麿(ふくおか たかまろ、1973年5月9日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、自由民主党厚生労働部会長。過去に、内閣府副大臣、内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官、参議院行政監視委員長、衆議院議員(1期)、自由民主党佐賀県連会長、自由民主党人事局長を歴任。
来歴
佐賀県佐賀市生まれ。佐賀大学教育学部附属小学校、佐賀大学教育学部附属中学校、佐賀県立佐賀西高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1996年、三菱地所株式会社入社。2003年に退社[1]。
同年、第43回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で佐賀1区から出馬したが、民主党の原口一博に敗れ、落選した。2005年の第44回衆議院議員総選挙では前回敗れた民主党の原口を佐賀1区で破り、初当選した(原口も比例復活)。05年初当選の議員が集まった83会の一員。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では佐賀1区で原口に敗れ、比例復活もならず落選した。この選挙では、福岡だけでなく佐賀2区の今村雅弘も民主候補に破れ(今村は比例復活)当時の自民党佐賀県連会長であった今村は引責辞任し、後任に議席を失ったばかりの福岡が就任した。現職議員以外の県連会長就任は1956年の佐賀県連設立以来はじめてという異例の就任となった[2](2015年に佐賀県知事選挙敗北の責任をとり辞任[3])。2010年、引退する岩永浩美より後継指名を受け[4]、第22回参議院議員通常選挙に佐賀県選挙区から自民党公認で出馬・当選し、国政に復帰。2011年、参議院行政監視委員長に就任。2013年、第2次安倍内閣で内閣府大臣政務官(金融担当[5])兼復興大臣政務官に就任(2014年9月、退任)。2015年10月、第3次安倍第1次改造内閣で内閣府副大臣(金融、国家戦略特区、地方創生等担当[6][7])に就任。2016年7月、第24回参議院議員通常選挙に佐賀県選挙区から自民党公認で出馬し再選。
政策・主張
2011年、ODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねた[8][9]。
2010年の参議院選挙前に行われた立候補者意識調査において、道州制の導入、漫画等の表現規制強化、国会議員の靖国参拝、国会議員定数の削減、憲法改正に賛成と答えた[10][11][12][13][14]。
永住外国人への地方選挙権付与、公立高校の一律無償化、法人税率の引き上げ、死刑の廃止、ベーシックインカムの導入には反対と答えた[15][16][17][18][19]。
選択的夫婦別姓制度導入に2010年の毎日新聞のアンケートでは反対としていた[20]。2016年の西日本新聞によるアンケートでは、「幅広い議論が必要」としている[21]。2016年の朝日新聞のアンケートでは、どちらとも言えない、としている[22]。
人物
生家は参議院議員も務めた祖父・福岡日出麿が創業した、建築資材・生コン等を販売する福岡商店[23]。
小学2年生より剣道を始め、中学、高校の剣道部では大将、大学の剣道部では副将を務める。全日本学生剣道大会団体戦ベスト8、全日本学生剣道選手権大会個人戦出場、早慶対抗剣道大会個人優秀選手[24]。現在の段位は五段。2011年7月、全日本剣道連盟顧問に就任[25]。なお2015年に永田町の国会議員会館内の道場で剣道の練習中に左足のアキレス腱を断裂する怪我を負っている[26]。
自民党有志による国会議員の世襲制限などを目指す議員連盟「新しい政治を拓く会」に参加している。自身については、2003年の初出馬時、既に祖父・福岡日出麿の死去から10数年経っていること(1986年政界引退・1990年死去)や後援会の引継ぎをおこなっていないことなどから世襲扱いされることには違和感を示している[27]。
家族は、妻と一男二女。
所属団体・議員連盟
自民党たばこ議員連盟[28]
神道政治連盟国会議員懇談会[29]
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会[29]
速やかな政策実現を求める有志議員の会
再チャレンジ支援議員連盟
83会
イクメン議員連盟
TPP交渉における国益を守り抜く会
オスプレイ誘致推進佐賀県民会議(顧問)[30]
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