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プロフィール
(以下、ウキペディア引用)
石川 博崇(いしかわ ひろたか、1973年9月12日 - )は、日本の政治家、外交官。公明党所属の参議院議員(2期)、公明党青年委員長。防衛大臣政務官・内閣府大臣政務官(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)を歴任。
義父は元参議院議員の風間昶。
来歴
大阪府豊中市生まれ。関西創価高等学校、創価大学工学部生物工学科卒業。創価大では海洋生物学を専攻していた。大学卒業後、1996年に外務省入省。同期入省に井ノ上正盛がいる。井ノ上が奥克彦参事官(死後、大使)らとともに殉職(イラク日本人外交官射殺事件)した際、葬儀では同期を代表して弔辞を読んでいる[1]。
アラビア語研修を経て在シリア日本国大使館、在オマーン日本国大使館に勤務[2]。2004年より、陸上自衛隊が派遣されていたイラクのサマーワ宿営地内に開設されていた外務省連絡事務所に勤務し[2]、小林弘裕所長の下でイラク戦争下のムサンナー県へのインフラ整備をはじめ、イラク国内の人道復興支援に従事した。2005年に帰国し、外務省総合外交政策局国連政策課、中東アフリカ局中東第二課を経て2009年11月に退官[2]。
2010年7月、第22回参議院議員通常選挙に大阪府選挙区(当時は定数3)から公明党公認で出馬し、初出馬にしてトップ当選した。2013年9月、公明党青年委員長に就任。2014年9月、第2次安倍改造内閣において防衛大臣政務官に任命された[3]。公明党所属の議員が防衛省の副大臣・政務官に任命されるのは、副大臣・政務官が設置された2001年以来、初めてである[4]。同月26日、内閣府大臣政務官に任命された[5]。同年12月、第3次安倍内閣で内閣府大臣政務官・防衛大臣政務官に再任[2]。2016年7月、第24回参議院議員通常選挙に大阪府選挙区(定数4)から出馬し、再選。
年譜
1973年9月12日 - 大阪府豊中市にて出生
1992年3月 - 関西創価高等学校卒業
1996年3月 - 創価大学工学部卒業
4月 - 外務省入省
1997年6月 - シリアにてアラビア語研修
2000年5月 - 在シリア日本大使館員
2002年6月 - 在オマーン日本大使館員
2004年4月 - 在イラク・サマーワ外務省連絡事務所員
2005年9月 - 外務省総合外交政策局国連政策課
2008年7月 - 外務省中東アフリカ局中東第二課。約50カ国・地域を訪問・赴任
2009年11月 - 退官
2009年12月 - 公明党本部中央幹事会において、2010年の第22回参議院議員通常選挙における大阪府選挙区の公認を受ける
2010年7月 - 第22回参議院議員通常選挙に公明党公認で大阪府選挙区から出馬し、初当選
2013年9月 - 公明党青年委員長
2014年9月4日 - 防衛大臣政務官(第2次安倍改造内閣)
9月26日 - 内閣府大臣政務官(第2次安倍改造内閣)
12月24日 - 防衛大臣政務官・内閣府大臣政務官(第3次安倍内閣)
2016年7月 - 第24回参議院議員通常選挙に公明党公認で大阪府選挙区から出馬し、再選
政策
平和安全法制について、「改正し、自衛隊の海外派遣をより制限すべきだ」としている[6]。
日本国憲法第9条の改正に反対だが、日本国憲法の改正には賛成している[6]。
日本国憲法への緊急事態条項の追加に反対[6]。
日本の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加に賛成[6]。
沖縄県宜野湾市の普天間飛行場は、沖縄県内の別の場所に移設すべきとしている[6]。
日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としている[6]。
選択的夫婦別姓制度に関する選択式アンケートにおいて、「どちらかといえば賛成」としている[7]。
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