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プロフィール
(以下、ウキペディア引用)
浜田 昌良(はまだ まさよし、1957年2月28日 - )は、日本の政治家。公明党所属の参議院議員(3期)。元復興副大臣(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣)。
経歴
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2016年7月)
1957年2月28日 - 大阪府大阪市天王寺区に生まれる[1]。
大阪市立真田山小学校、横浜市立大綱中学校、神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。
1979年 - 京都大学工学部建築学科卒業。
1980年 - 京都大学大学院修士課程中退。
通商産業省(現:経済産業省)に入省。生物化学産業課長などを歴任。
2003年 - 経済産業省を退職。
2004年7月11日 - 第20回参議院議員通常選挙に全国比例区で公明党から立候補し、得票数党内7位(33,310票)で初当選。
2006年 - 第1次安倍内閣で外務大臣政務官に任命される。
2010年7月11日 - 第22回参議院議員通常選挙に全国比例区で公明党から立候補し、得票数党内5位(503,177票)で再選。
2012年12月 - 第2次安倍内閣で復興副大臣に任命される。
2014年9月3日、第2次安倍改造内閣で復興副大臣に再任。
2016年7月10日 - 第24回参議院議員通常選挙に全国比例区で公明党から立候補し、得票数党内6位(388,473票)で3選。
2017年9月27日 - 長沢広明の辞任に伴い、第3次安倍第3次改造内閣で再び復興副大臣に任命される。
政策
医療体制の強化[2]。
育児と介護のしくみの整備[2]。
環境・観光産業の強化[2]。
福祉産業の強化[2]。
都市型農林水産業の推進[2]。
生涯にわたる個性と意欲を活かす教育[2]。
選択的夫婦別姓制度に賛成[3]。
活動
2008年11月5日、アフガニスタンの現状と空爆について審議する参議院・外交防衛委員の一人として、参考人として呼ばれていた中村哲医師に対して質問を行った[注釈 1]。
2011年、ODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねた[5][6]。
主な所属議員連盟
北京オリンピックを支援する議員の会
日朝国交正常化推進議員連盟
現在の役職
参議院
文教科学委員会委員
東日本大震災復興特別委員会委員
公明党
参議院議員団政策審議会長
市民活動局長
神奈川県本部県民運動副委員長
過去の役職
内閣
外務大臣政務官(第1次安倍内閣)
復興副大臣(第2次安倍内閣・第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣、第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣)
参議院
法務委員会委員
北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会委員
厚生労働委員会委員
災害対策特別委員会委員
経済・産業・雇用に関する特別調査会理事
経済産業委員会委員
東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会理事
公明党
外交部会副部会長
安全保障部会長
市民活動局次長
団体局長
神奈川県本部副代表
人物
家族構成は、妻と2男1女の5人家族[1]。
趣味は映画観賞。印象に残っている作品は「幸福の黄色いハンカチ」。お気に入りのアーティストは小田和正[1]。
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