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プロフィール
(以下、ウキペディア引用)
松下 新平(まつした しんぺい、1966年(昭和41年)8月18日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)。
総務副大臣兼内閣府副大臣(第3次安倍第1次改造内閣)、国土交通大臣政務官(第2次安倍内閣)、宮崎県議会議員(2期)を務めた。
経歴
1966年8月18日宮崎県宮崎市高岡町生まれ。1979年3月高岡町立高岡小学校卒業。1982年3月高岡町立高岡中学校卒業。1985年3月宮崎県立宮崎西高等学校卒業。1992年3月法政大学第二法学部政治学科卒業。1992年4月宮崎県職員に就職[1]。
政界入り・宮崎県議会議員
宮崎県職員として務めた後、1996年12月に退職。1997年1月から自民党参議院議員・長峯基の秘書として活動[1]。1999年に宮崎県議会議員に自民党から初当選。2003年に2期目当選。
自民党離党・参議院出馬
2004年4月に議員を辞職し、同年7月の第20回参議院議員通常選挙に無所属で宮崎県選挙区出馬[2]。民主党や連合宮崎など非自民勢力の支援も得て、自由民主党現職の上杉光弘(元自治大臣)を約1万7000票差の277,352票で破った。国会では民主党系会派「民主党・新緑風会」に所属した。県選出の衆参国会議員5人のうち、唯一の非自民系国会議員であった[3]。
民主党参院宮崎選挙区公認騒動・民主会派離脱
2007年7月5日に会派離脱を宣言。同年の参議院通常選挙で、長峯は自民党宮崎県連幹部による投票の結果自民党の公認を得られなかった。そのため、松下は民主党に自民党の公認を失った長峯の支援を求めたが、松下の元秘書である外山斎が立候補を表明したことで破談。外山の出馬に対して、「私には相談がなかった。ボタンの掛け違いだった」と不快感を示した。民主党が外山斎を宮崎選挙区に無所属として擁立したことに松下は反発し、会派を離脱して長峯を独自に支援すると表明したため、非自民票が割れた。松下は記者会見で、長峯氏の公設秘書を務めたことなどに触れ、「人間の道理、政治家の道理として長峯基先生を支持する」と支持理由を説明し、自らは民主系会派は離脱せず、自身の処遇は「会派なり党なりが判断する」と結論をゆだねた「選挙後の枠組みも含めて民主なのか自民なのかどういうスタンスなのか」と質問されると、松下は「ちょうどど真ん中とご理解いただきたい」と答えた[3]。地元紙『宮崎日日新聞』7月9日号コラム「くろしお」[4]が「非自民」の票を投じた有権者への裏切りではないかと批判すると、松下は緑風会を引き合いに出し「参議院のあり方が問われている現状の国会運営や近い将来興ることを確信する政界再編の流れの中で、敢えて、厳しい環境ではありますが、これまで通り、軸がぶれることなく、高い志を持って、正々堂々と政治活動を行っていく私の想いとご理解いただきたいと想います。」と反論した[5]。長峯は無所属で出馬したものの、自民党公認の小斉平敏文に敗れる。
改革クラブ入党から自民党入り以降
2008年8月29日、この日設立の新党・改革クラブ(新党改革)に結党から参加[6]。2009年12月、次期参院選挙で自民党からの出馬を打診されたが、改革クラブ所属議員が4人となり政党交付金を受け取れる政党要件(国会議員5人以上)を満たさなくなるため、自民党は引退を表明している参議院議員の山内俊夫を改革クラブに移籍させると報道された。2010年(平成22年)1月15日に山内と入れ代わりで自民党入党[7]。
2010年、第22回参議院議員通常選挙で宮崎県選挙区における自民党公認候補となり、再選[8]。
2011年4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねる[9][10]。2012年秋、総裁退任直後の谷垣による勉強会「有隣会」に参加[要出典]。同年12月、第2次安倍内閣の国土交通大臣政務官(災害対策関係施策、土地・建設産業、水管理・国土保全、鉄道、自動車、気象関係施策の担当[11])に就任した(2013年9月に退任)。
2015年10月、第3次安倍第1次改造内閣の総務副大臣(情報通信、放送行政、郵政行政に関すること[12])兼内閣府副大臣(マイナンバー制度に関すること、郵政民営化に関すること[12])に就任した[13]。2016年7月、第24回参議院議員通常選挙で3選。2018年10月、自民党外交部会長に就任した[14]。2019年9月、自民党財務金融部会長(財政、税、地域金融、Fintech(フィンテック)などを所管[15])に就任。
略歴
1966年(昭和41年)8月18日 - 宮崎県宮崎市(旧東諸県郡高岡町)生まれ
1979年(昭和54年)3月 - 高岡町立高岡小学校 卒業
1982年(昭和57年)3月 - 高岡町立高岡中学校 卒業
1985年(昭和60年)3月 - 宮崎県立宮崎西高等学校 卒業
1992年(平成4年)3月 - 法政大学第二法学部政治学科 卒業
4月 - 宮崎県庁入庁
1996年(平成8年)12月 - 宮崎県庁退庁
1997年(平成9年)1月 - 参議院議員長峯基 公設秘書
1999年(平成11年)4月 - 宮崎県議会議員 初当選
2003年(平成15年)4月 - 宮崎県議会議員 2期目当選
2004年(平成16年)4月 - 宮崎県議会議員辞職
7月 - 参議院議員 初当選(同月、院内会派「民主党・新緑風会」入会[16])
2007年(平成19年)7月5日 - 民主党・新緑風会離脱を宣言(8月7日付けで離脱[17])
2008年(平成20年)8月29日 - 改革クラブ結党に参加
2010年(平成22年)1月15日 - 山内俊夫と入れ替わる形で自民党へ移籍
7月 - 参議院議員に再選
2011年(平成23年)6月 - 参議院災害対策特別委員長に就任[18]。
2012年(平成24年)12月 - 第2次安倍内閣の国土交通大臣政務官に就任。
2015年(平成27年)10月 - 第3次安倍第1次改造内閣の総務副大臣兼内閣府副大臣に就任。
2016年(平成28年)7月 - 参議院議員に3選
主張
安全保障関連法について、今のままで良い[19]。
憲法改正に賛成[19]。
憲法9条の改正に賛成[19]。
政治的公平性を欠く放送を繰り返した放送局に対し、電波停止を命じる可能性に言及した高市早苗総務相の姿は問題ではない[19]。
来年4月の消費税率10%への引き上げについて、法改正し、引き上げを延期または中止すべきだ[19]。
安倍政権の経済政策「アベノミクス」の恩恵は、地方や中小企業に及んでいると思う[19]。
環太平洋パートナーシップ協定に賛成[19]。
原発は将来的に廃止すべき[19]。
米軍普天間飛行場は名護市辺野古に移設すべき[19]。
核武装について、将来にわたって検討すべきでない[19]。
選択的夫婦別姓制度の導入について2016年の西日本新聞の調査や2010年の毎日新聞の調査では反対としている[20][21]。一方、2016年の朝日新聞の調査では、「どちらとも言えない」としている[22]。
不祥事
高齢者への公職選挙法違反(投票干渉)事件
松下が当選した2010年の第22回参議院議員通常選挙において、宮崎県警察は投票日の翌日、選挙期間中、高齢者の手に候補者名を書いて候補者への投票を求めたとして、公職選挙法違反(投票干渉)の容疑で3人を逮捕した。このとき書かれていた候補者名は松下と、公明党の比例区より出馬した秋野公造だった[23]。
迂回献金による税還付
2009年から2011年にかけ、自らが代表を務める自民党支部に対して寄付を行った後、後援会や資金管理団体に対し支部が寄付させる手口で計約2,200万円を還流させ税を還付していたことが、国土交通大臣政務官就任後に分かった[24]。
人物・信仰
佛所護念会教団の信徒[25]。
民主党会派に所属していた際に自らの秘書を務めていた外山が民主党に公認されたことで民主党参院宮崎選挙区の公認騒動が起きた際に、「人間の道理、政治家の道理として長峯基先生を支持する」と自らが公設秘書を務めていた長峯を支持した[3]。
所属団体・議員連盟
自民党たばこ議員連盟[26][27]
ラグビーワールドカップ 2019 日本大会成功議員連盟
創生「日本」[26]
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟 [26]
日本の領土を守るため行動する議員連盟 [26]
日華議員懇談会 [26]
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会 [26]
新憲法制定議員同盟 [26]
日本会議国会議員懇談会 [26]
神道政治連盟国会議員懇談会 [26]
地下式原子力発電所政策推進議員連盟 [26]
アジア・太平洋国会議員連合 [26]
奥山水源の森 保全・再生議員連盟 [26]
将棋文化振興議員連盟 [26]
囲碁文化振興議員連盟[28]
トラック輸送振興議員連盟 [26]
TPP交渉における国益を守り抜く会
人権擁護法案から人権を守る会
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